第三章 5


 オリヴィエは慌てて風車塔を降り、馬に乗ると、元来た道を注意深く走り、城下町に入った。城に続く大通りに出ようとした時、クゥアン軍が、隊列を作って行進していくのが見えた。 慌てて裏道を通り、先の通用口まで戻ったオリヴィエは、先ほどの門兵が、木陰にうずくまっているのを見つけた。
「しっかりおし。何があったの?」
 オリヴィエは、しゃがみ込んで門兵の顔を覗き込んだ。
「オ、オリヴィエ様! 出掛けられてから、クゥアン軍の奇襲があったんです……連中、ここの通用口の事を気づかなかった様で、表と裏、それに西の後宮への門から、一斉に中に……何か爆発音がしました 」
「何だって! そんな短期間に一斉にだなんて……一体、モンメイ軍はどうしてたんだい」
「それがクゥアン軍は、ものすごい数で一気に……。私は怖くて足が竦んで……、も、申し訳ありません……」
 門兵は、泣きじゃくっている。
「気にしないでいい。お前の仕事は、食物の運搬なんだもの、騎士たちとは違うんだから。とりあえず、ここにいると危ないから、裏通りから家にお帰り。さあ、この馬を連れて」
「で、でも、城が……、王が……、オリヴィエ様は?」
「死にたくなければ、早くお帰り。命があれば、またいつか城の為になることが出来るよ。ワタシはなんとか様子を見てくる」
 オリヴィエは、きっぱりと言い放つと、立ち上がった。城の陥落を目の当たりにして、彼の脳裏からは、どさくさに紛れて逃げる……という考えは既に一掃されてしまっていた。見つからないように身を隠しつつ、裏庭から中庭を抜けたとき、歓声が 上がったのを 彼は聞いた。
“何があったんだろう……? まさか……”
『王に、ジュリアス様に報告を! 勝利の合図を……』
 どこかで声がした。
“父上が……?”
 オリヴィエは、物陰に隠れつつ、その声のする方向に進んだ。半壊してしまった城門の前に広がる広場からだった。 投降したモンメイの兵士が集められている。オリヴィエは茂みの中に身を隠す。古ぼけた荒い目のしたマントが幸いして目立たない。
「くそう、奇襲とは卑怯な……」
 モンメイの兵士が悔しそうに言ったのを、クゥアン兵士があざ笑う。
「奇襲? ちゃんと我々は只今から城を攻撃すると合図の砲を撃ったではないか?」
「河川敷で戦っていると見せかけての攻撃、奇襲ではないかっ、そのせいで我らは援軍を出し……」
「はん。我らは、二手に分かれ、山伝いに参ったまでのこと。僅かの兵しか置かずに城を固めていたそちらの落ち度だ。敵国に攻めに入るのに、三百や五百といった小数で参るわけがなかろうよ」
「三百や五百が少数と言い切った……一体どれくらいの兵がモンメイに……」 
 そんな兵士のやり取りをオリヴィエが茂みで聞いていると、一際大きく言い争う声が響いてきた。
「ええい! 放さぬかっ、逃げも隠れもせぬわ」
 聞き慣れた兄の声がしていた。ハッとしてオリヴィエがその声の方向を見ると、両脇をクゥアン兵士に、束縛された兄がいた。 頬に血が付いているが、リュホウ自身のものではない、返り血のようだった。乱れた髪や、血糊のついた胸当てから見て、よほど荒々しくリュホウが応戦したと見える。
「ジュリアス様がお見えになったぞ。皆の者、直れ!」
 その声とともに、馬の駆ける音が響いた。ひときわ色艶の見事な馬が、押さえ込まれたリュホウの目前で止まった。オリヴィエの位置からは、騎乗しているジュリアスの後ろ姿しか見えない。ジュリアスは被っていた兜を脱いだ。金の髪が豊かに波打つ。ジュリアスは、兜を側にいた赤毛の騎士に手渡した。
“薄い氷のような瞳の色……あれが、クゥアンの騎士……鋭い剣のような……あんな騎士が中央にはいるんだ……”
 オリヴィエは、赤毛の騎士、オスカーの姿を見て思った。
「誰か、王に報告を!」
 オスカーは辺りを見回して、よく通る声で叫んだ。
「申し上げます」
 一人の兵士が、ジュリアスの前に出て答えた。
「生きて捕らえよとの事でありましたが、モンメイ王は、我らが室内に入ったところで、著しく抵抗され、取り押さえました後、隙を見て……毒杯を呷られました。申し訳ありません」
“父上が毒杯を? 自分でアレを使うことになるなんて……”
 オリヴィエは、王の間にある玉座の側の飾り台を思い出した。引き出しの中には、小さな陶器が入っている。万が一の時の為に、用意してあった毒薬である。ただし、それは王自身が使うものではなく、謀反を起こそうとした臣下の者や、王の命を狙うべくやってきた他国からの使者に使う為に、心配性で小心な所がある王が、用意していたものである。
「先王は確か身罷られた。だが、只今よりモンメイ王は、私が引き継ぐことになる!」
 兵士が言い終わったあと、ジュリアスを睨み付けて、リュホウは叫んだ。
「そなたは、モンメイ王の長子、リュホウだな? 承知した。ではこれより、そなたをモンメイ王と認めて宣言を行う。これよりモンメイは、我が王国のものとする。そなたさえ私に忠誠を誓うならば、命だけは助けてやろう。引き続き、この地を領主として治めることも許す。どうだ?」
 ジュリアスは、馬上からリュホウを見下ろして言った。その様子を見ていたオリヴィエは、心の中で叫んだ。
“兄様、はい、と言うんだよ。命があるなら、この地を治めることが出来るなら、それでいいじゃないか……”
 だが、リュホウは、ふんと鼻先で笑った。
「それが答えか、では、死なねばなるまいぞ」
 ジュリアスは剣を抜いた。長剣である。それを軽々と振りかざすと、リュホウの頭上でピタリと止めた。
「もうひとつ聞きたい。モンメイ王には、そなたの他にもう一人息子がいたと聞く。一応、ザッと城内は探させたが、その者は見つからなかった」
「…………」
 リュホウは答えない。
「弟がいるだろう、金の髪の。その弟はどこだ?」
 オリヴィエは身が竦んだ。捕まれば、間違いなく、また利用される側になる……と。
 だが、リュホウはまだ何も言わない。
「知らぬ……と申すのか?」
「金の髪の弟だと? 昔そういえば、そんなヤツもいたな。だが、今は、そんなヤツは知らない。ふん、金の髪を持つものは天よりの使者か……ただの作り話にすぎんな。捨て子に対する憐れみから作られたお伽噺だ」
 金の髪を持つジュリアスに向かって、リュホウは堂々とそう言ってのけた。オリヴィエの事を知っているモンメイの兵士たちは、互いに顔を見合わせる。
「では、もういちど聞く。我が配下に入る気は?」
 ジュリアスは、無表情で問いかけた。
「ない。名誉の死を選ぶ。切れ」
 それが最後の言葉だった。戦いに於いて、王は王によって殺されるのがもっとも名誉ある死とされていた。ジュリアスは、躊躇なく剣を振り下ろそうとした。
 
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