「痛ってぇ……」
打ちつけた腰をさすりながら、起きあがろうとしたゼフェルの目に映ったのは、怯えたような目をした工場主の表情だった。
「おやっさん、ごめん。マシン……傷つけちまった……」
「ば、ばか……そんなことより……」
工場主は、そう言うと目線で、背後を見ろと言うようにゼフェルに告げた。
「え?」
ゼフェルが振り向いたそこに、男が立っている。長いマントとブーツ、上着は軽やかな風合いだったが、恐ろしく手の込んだ細かい刺繍が施されている。見るからに、高貴で異質な存在が、そこにあった。
「オメー……あの鋼の……ライ……」
ゼフェルが呟くと同時に、ライは、グイッと彼の作業着の襟首を掴み上げた。
「バカが! お前を殺して、私のサクリアが繋げるならとっくにそうしている。あきらめろ、鋼のサクリアはお前を選んだんだ。ここでのお前の時間はもう一日しかないんだぞ、無駄に使うな」
「勝手ことほざくなよ! オレの身になって見ろよッ、いきなりこんなッ」
今度はゼフェルが、ライに掴みかかった。
「では聞くが、お前は、私の気持ちを考えたことがあるか? 守護聖の交代には、いろんなパターンがある。長い時間をかけて大切に育みながらサクリアが移行するのがベストとすれば、私とお前は最悪のパターンだ。お前が失うものが多いのと同じくらい、私も……大切なものを失うんだ」
高飛車なだけだったライの声色が変わった。
「バッくれちまうワケには行かねぇのかよ、オメーも聖地に残りたきゃ強引に居座っちまえばいいだろ」
「ここまで何もわかっちゃいないヤツが、何故守護聖に……」
吐き捨てるようにライは言った。ゼフェルとライの間に、気まずい雰囲気が流れる。二人の顔を交互に見ていた工場主は、とぼとぼと、ゼフェルの側まで歩き、その肩に手を置いて言った。
「なぁ、ゼフェル。もう仕方ないみたいだし、こちらさんの仰る通り、残り一日、好きに使えや。あのマシン、貸してやるからよ」
「あのマシンって……」
「壊さないでくれたらいい。なぁに、多少汚れても、次期、鋼の守護聖サンの使ったブツだ、プレミア値段付けてぼったくってやる」
「これだよ……ったく悪徳ディーラー」
気が抜けたようにゼフェルは言った。
「明日までは何をしようが勝手だ。だが死ぬことはできない。もうプロテクトがお前にはかかっているからな」
「プロテクト?」
「サクリアを宿したその体だ。お前の心の揺れは、たとえ自ら命を絶とうとしても同じサクリアを共有している現段階では、私にはすぐに判るし、聖地の科学力と女王陛下のお力がある限り、お前は死ねない」
「じゃ体じゃなくて心はどうなんだよ、オレ、悲しみのあまり壊れるかも知らねーぞ」
「お前、そんなナイーブなタマかよ……」
と呟いたのは工場主である。
「クソオヤジ、黙ってやがれッ、どうなんだよッ」
ゼフェルは、ライに詰め寄った。
「関係ない。心よりずっと深い所にサクリアはある。お前の心が多少壊れたってサクリアは消えやしない。サクリアがその体を離れる時など誰にもわからない。悲しみや喜びにいちいち左右される程度のサクリアなら、この宇宙は成り立たないだろう。守護聖になっても感情のある普通の人間と何ら変わりはない。日々の感情には起伏があり、ふてくされて、宇宙のことなど、どうなってもいいと思う時さえもあるが、その体に宿るサクリアは、お構いなしにこの宇宙に関与している……」
そう言ってライは、辛そうに目を伏せた。彼が初めて見せた憎しみ以外の感情に、ゼフェルは沈黙した。
「今度、逢うときは聖地でだ。引き継ぎがあるし、本当ならそれなりの時間をかけて学ぶべき聖地の事を、お前には叩き込む必要がある。もっぱらこれは、私でなく他に適任者がいるがな。ともかく、嫌でもしばらくは付き合ってもらうぞ」
「ケッ」
ゼフェルはライから視線を外した。
「現実から目を背けるのは止めにしよう、お前も私も……。お前はもう既に鋼のサクリアを持っている。そのことだけは自覚しておけ」
今度は声を荒げることなく静かにライはそう言って、ゼフェルに背を向けた。 回りの風景がぼんやりと滲むように消え、現れた漆黒の空間に彼は、かき消えた。
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