「オスカー!」
 ジュリアス様の声が、それは放たれた矢のように、俺の心に突き刺さった。声が出なかった。今、木立を駆けて、小川を越えて走ってくる人が幻でないように、俺は、ただ黙って立ちつくしていた。
「そなた……来たのか……まさかサクリアが尽きたのか?」
「いえ、サクリアはまだ。ただお逢いしたかったのです」
 俺はジュリアス様の次ぎの言葉を待った。だがジュリアス様は何も仰らない。俺は顔を上げて馬上のジュリアス様を見た。蒼い瞳は、懐かしそうに俺を見つめておいでだった。俺は、アグネシカに素早く乗った。
「ジュリアス様、走りましょう。案内して戴けますか?」
 やはりジュリアス様は無言だった。 ただ手綱を握り直すと、馬の腹を小さく蹴り、元の林の方向に走り出されたのだ。俺は後に続く。ジュリアス様の背中からは、掟を破り逢いに来た俺への怒りは、感じられなかった。
 林の木立を抜けると、小さな湖が拡がっていた。そこまで来て、ようやくジュリアス様は、速度を緩め、馬からお降りになった。俺も同じように降り、アグネシカを側の小枝に繋いだ。

「皆は変わりないか?」
 ふいにジュリアス様は仰った。
「はい、聖地では、貴方が去られてまだ一ヶ月ですから」
「そうか……そうだったな。私には長い三年だった、いや、短かった気もする。わからぬ……日々生きるために精一杯で」
 意外な言葉だった。ジュリアス様らしくないと俺は思った。
「聖地にいた時は思いもしなかった。限られた命を生きる事の大切さと辛さを。不思議なものだな。聖地にいても下界にいても、私の上に流れる時間の早さに相違はないのに」
 ふいにジュリアス様の指先が動き、目元をなぞられた。光るものをそっと拭われると、またその顔を挙げられた。
「そなたを見ていたら、胸に熱いものが込み上げた……気弱な事だな」
「いいえ。俺なんか毎晩泣いていました……貴方が亡くなられる夢を、毎晩のように見てしまうんです。白い棺に貴方が横たわっている夢です。俺の悪夢は聖地の静かな夜を乱すと、クラヴィス様に言われました」
「クラヴィスか……」
「ジュリアス様によろしく伝えてくれと、仰っていました」
「ここに来ることを、クラヴィスは知っているのか?」
「はい、あの人には、なかなか隠し事はできないようです。あの人は俺の気持ちを知っていて、好きにせよと……」
「そなた……の気持ち……」
 ジュリアス様は呟く。そう俺の気持ちだ。貴方はとうの昔に気づいている俺の気持ち……。
 
 俺の国では、王が、臣下の武将と深い関係になる事は、珍しくなかった。むしろそれは、名家の者同士が、子を成して利害関係を計ろうとする男女のもに比べれば、ずっと崇高なものだった。それは信頼の元に成り立つ、純粋なものだ。 ジュリアス様に、その事は、いつか話した事があった。ジュリアス様は、主星に於いても遙かな過去にそのような風習があったと仰った。
 そして「そなたは私の臣下のものではないし、私もそなたの王というわけではない、私の方が聖地に長くいるので、必然的に命を下すような立場にはあるが、そなたが忠誠を誓うべくは陛下であり、この私ではない」とキッパリと仰ったのだ。
 あの時……、封印したはずの俺の気持ち……。
「俺は……貴方を愛しています。でもその前に尊敬している。聖地にいらした時は、俺はまず貴方の信頼が得たかった。それだけで満足だった」
「オスカー、私もそなたが好きだ。そなたといると楽しかった……だが……わからぬ。男であるそなたから、愛していると言われて、私はどうすればいい……」
「例えば、俺が女性ならば、貴方は俺を受け入れてくれるでしょうか?」
「それならば何も戸惑うことはない。私は生涯をかけてそなたを大切にする」
 そう仰ってから、ジュリアス様はハッとして俺を見つめた。
「同じなのか……そなたが男であっても……」
「そうです。欲しいのは心です。俺は貴方のその言葉を受け取りました。俺の想いは成就しました」
 俺の言葉にジュリアス様は微笑まれた。ジュリアス様のあんなに優しい眼差しは初めて見た。俺は思わずジュリアス様の手を取った、そして抱きしめてしまった。
「申し訳ありません、あまりに嬉しいものですから。
 しばらくこのままお許し下さい……不快でしたら止めますが……」
「いや……いい。それほど嫌ではないから」
 だが、ジュリアス様の戸惑いが俺の腕に伝わってくるようだった。
「オスカー……そろそろ離してくれると有り難いのだが」
 しばらくたってジュリアス様は少し苦しそうにそう仰った。

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