◎夏の章◎
天井に取り付けた四枚の羽がタラタラと生ぬるい空気をかき混ぜる。うだる暑さ……。オリヴィエとリュミエールは売り物の壺を嫌々磨きながら喘いでいる。
「あぢ〜、なんとかならないの〜」
「一世清涼 雪山に住まん……たまりませんね、今年の暑さって。ふぅ……お客さんは全然来ませんし、貯金も随分食い潰してしまいました」
リュミエールは、きちんと止めた水色のシャツのボタンを一つだけ外して言った。「仕方ないよ、金持ち連中は長期休暇で避暑や国に帰ったりして、街にいやしないんだもん〜」
「そうですね、あっオリヴィエ、もうそろそろオスカーとの約束の時間では?」
リュミエールの声でオリヴィエは壁に掛けられた振り子時計を見た。「あ、ホントだ、何かいい話だといいんだけどさ」
オスカーというのは、元は亜米利加の新聞記者で、今は探偵のような事をしている男である。街の情報通で、オリヴィエは、時々この男から美味しい話を貰っている。
オリヴィエは渋々立ち上がった。
「本当に。少しお金になる話だといいんですけど。今月も家賃まだ払えてません、この暑さじゃ食中毒が怖くてランディの所の残飯に手を付ける気にもなりませんし……」
「オスカーは最近羽振りがいいみたいだし、きっとお金になる話だよ、じゃ行ってくる」
オスカーとの待ち合わせは、福州路、通称四馬路のはずれを北に入った角にあるカフェ宵闇亭と決まっていた。宵闇亭のドアをオリヴィエが開けると、長い黒髪を束ねた無愛想なマスターが、奥の席にオスカーが来ている事を顎をしゃくって教えてくれた。
オリヴィエは、ここの常連になって何年にもなるが、このマスターの声をほとんど聞いた事がなかった、時々、客の問いかけに合わせて「ああ」とか「是」とか「YES」だとか「Ja」とか相づちを打っているのを聞く程度で、何人なのかはサッパリわからない。黒髪と涼しい切れ長の目は東洋人のようだが、それにしては長身すぎる。「よう、オリヴィエ、遅かったな」
オスカーは羽振りがいいのか、こざっぱりした麻の白いスーツという出で立ちである。「おひさ〜、あら何、そのカッコ、いい金づるでも掴んだの?」
「ただ身なりを正してるだけだぜ、それよりオリヴィエ……ちょっとした話があるんだけどな」
オスカーはさっそく話を切り出した。「待ってましたっ、もうここんとこヒマでさ〜」
「新しくできた蓬莱國賓館は、知ってるな?」
「うん、超〜高級ホテルの新館だよね、いっぺん行ってみたいもんだね」
「そこのオーナーがだな、スィートルームに飾る珍しい品をお探しになっているんだ」「ふーん、でもウチにはそんな大それたブツはないよ。ちゃんとした鑑定も入るんだろ? いつものあこぎな商売も通じやしない」
オリヴィエは少しガッカリして言った。「お前んとこの店にないのはわかってるさ、そのオーナーが手に入れたいと仰ってるのは白桜桃下紫綸巾の壺なんだ」
「ハクオウトウカシカンキン? 何それ?」
「俺も、中國の歴史には詳しくないんだが、昔、石虎という帝がいて、その時の華やかな宮廷の様子が描かれた壺らしいんだ。で、その壺がだな、ある仏蘭西人の屋敷にあるんだが、どうあっても持ち主が譲ってくれないんだ」「で、ワタシにその仲買をしろってわけ?」
「早い話がそうだ。その仏蘭西人は、仏蘭西銀行の副頭取をなさっているんだ。金もたっぷり持っているし、その壺自体に固執しているわけではないんだが、話が拗れてしまって、絶対に譲らんと。俺が話を付けてもいいんだが、骨董の事になると皆目わからんし、俺は、亜米利加人、蓬莱國賓館のオーナーは英吉利人、あっちに仏蘭西語で捲くしたてられるとどうにもならん」
「ふーん、で報酬は?」
「上手く壺が手に入れば五十ドル、前金としてまず十ドル」
オスカーは、十ドルとその仏蘭西人の屋敷の住所を、書いたメモをテーブルの上に置いた。
「悪かぁないね、アンタから回ってくる仕事にしちゃ、まともすぎるのがちょっち不安だけど。じゃ、そういう事で。近いウチにその仏蘭西人のとこへ行って交渉してみるよ」
オリヴィエは立ち上がりつつ、十ドルとメモをズボンのポケットにつっこんだ。「オリヴィエ、恩に着るぜ」
オスカーは、そう言ってオリヴィエのお尻を軽く撫でた。
「そういう気はないって言ってるでしょ〜っ。ケツを撫でるんじゃないよっ」注◆一世清涼 雪山に住まん
李郡玉の詩の一節 雪山(ヒマラヤ)で涼しく一生を送りたいものだ。