水夢骨董堂細腕繁盛記外伝 『花影追憶』 |
父は、買い付けた宝石類を売りさばく傍ら、うまい話がある処へは何処にでも行った。函館、横浜、神戸と港街を転々とし、そこを拠点として海外に渡る事もあったという。 やがて私の就学を考えねばならなくなり、私たち一家は上海に渡った。上海で貿易商を起こして、そこを拠点にすればもう各地を転々とする事もないだろうと父は考えたのだ。 日本國各地の港町で過ごした記憶は私にはない。私の記憶の始めは上海の外灘に初めて降り立ったところから始まっている。母と父に手を引かれて桟橋を渡り立派な建物が立ち並んだ大きな通りに出ると、そこからは何かしらただ楽しい事だけが待っているような気がした事ははっきりと覚えている。 外灘に立ち並ぶいくつもの立派な西洋建築のビルの一群の中に父が借りたという事務所があり、住まいは日本人の多くが住まう虹口地区のこじんまりした一軒家であった。母は西洋人の倶楽部に出入りする事が出来、父の仕事も順調なようで、私たち一家は何不自由もなく上海での生活を楽しんだ。 だが、八月の暑い午後に、奥地に買い付けの交渉に出ていた父の訃報が届いた。船が賊に襲われたのだ。その買い付けで得るはずだった利益は消え、父と同行していた人夫の家族への保証金や奪われた船の弁償代……父の会社には借金だけが残された。 それから、母と私は日々やってくる借金取りに怯えて雨戸を閉ざした家の中で大半を過ごした。そんな日々が一ヶ月も続いた後、母は私の手を引いて、今まで見た事もない城のような豪奢な館を訪れた。物語の産物のような調度品に囲まれた部屋には暖炉があり、その前に置かれたソファに身なりの良い紳士が座っていた。母はこれからこのお屋敷で働くのだと小声で私に言い、挨拶するように言った。 この館の主、セイント氏と母の間にどういう取り決めがあったかは知らない。父の残した借金の肩代わりをセイント氏がしたらしい。母は行く宛もないので、館で女中として働く事で御礼をするのだと言っていた。 このセイントの館には、セイント氏と亡き前妻の子、正統なるセイント一族の後継者であるジュリアスという私と同い年の子どもがいた。初めてジュリアスを見た時に私は、その場で平伏したい気持ちになった。露西亜の田舎の村から日本國の港町、そして上海と各地を転々としてきた私と違って、何者にも急かされずにどっしりと構えた風格のようなものをジュリアスの中に垣間見たからである。自分とは決定的に違うもの、身分というものの差をはっきりと感じとったのだった。 私はジュリアスの学友として努めるように言い渡され館の敷地内に放たれた小動物の世話などをする傍ら、英吉利の子弟が通う学校に行く事も許された。 ジュリアスは親切だった。女中の子である私にも高飛車な態度はとらず、他の学友たちが私の生い立ちをからかう事があっても彼だけは毅然とした態度でそれを一瞥した。 「私の事をジュリアス様と呼ばなくてもいい。私たちは、友達なのだから」 少し照れながらそうジュリアスは言った。名家に生まれた足枷がジュリアスに打算のない真の友と呼べるものを作らせないでいたらしい。乗馬やチェスやチェンバロの演奏、自分が好んでする事をジュリアスは私にもさせようとした。 「無理強いはせぬ、でも面白いと思うのでそなたもやってみよ」 とジュリアスは言い、私が上手く行かないで困っていると根気よく教え続けてくれた。ジュリアスの相手が出来るほどに上達すると、それは嬉しそうに彼は微笑む、その笑顔が見たくて私は懸命に努力をした。 |